近所に馴染めない・・・そんな理由で家を売って引っ越します!

家の前での井戸端会議・子供の道路遊びに疲れ果て、築浅の家を売って引っ越そうと思っています。そんな記録。


# そして4年。
あの日からもう4年が経ちます。

昨年の日記を書いたのがついこの間のように感じるほど、月日の流れは・・・早い。

だけど、もう4年と感じているのは、東北から遠く離れた場所に住んでいるからかもしれません。

4年経った今でも、約23万人の方がまだ仮設住宅で暮らしています。どんなに不便で寒いだろうか・・・と思います。


私は、今でもまだ 東日本大震災 毎月100円義援金 を続けています。

私なんぞにできることなんてそう多くないので、そうして毎月募金をして、心にいつも忘れないように・・・そう思っています。

そして今年も、3.11、検索は応援になる。を行っています。

2015年3月11日0時00分から23時59分までに、「3.11」というキーワードを検索された方おひとりにつき10円が、yahoo!検索から公益財団法人東日本大震災復興支援財団の「一般寄附金」へ寄付されます。(募金上限500万円です。)ぜひ1人でも多くの方が参加して頂ければと思います。


数日前に、中学校1年生だった女の子の遺骨が発見されたと見ました。今でも震災関連の話を呼んだり聞いたりすると胸が苦しくて堪らなくなります。


あの日、保育園児だったマル子はもう5年生になろうとしています。

だけど、あの日のまま時間が止まってしまった子供さんがたくさんいるんだと思うと、このようにして命があり、日々ちゃんと生活できることを本当にありがたいと思うし、子育てに対して身が引き締まる思いがします。


日本に住んでいる以上、地震は身近なものでいつ私が住む場所で大きな地震が起きるか分からない。

普段の備えはもちろん、もしも大きな地震が起こった場合の時のことを家族でしっかりと、改めて話し合いたいと思います。


そして・・・4年経っても収束の目途が立たない福島第一原発。

私は、原子力発電はもうやめて欲しいと思っています。(そのために電力会社の株を購入して、毎年株主総会では原発廃止の意見に賛同しているのですが、現状は個人株主なんて微々たる力しかありません...。)


人間の力では制御できないものをもう使わないでほしい。

たくさんの人の故郷を奪ったものをもう使わないでほしい。

いろんな問題があるんだろうけど、こうして4年間原発なしでやってこれているし、様々な開発を頑張ってる方もたくさんいらっしゃるから。


生かされている自分にできること。

それはちっぽけな事なんだけど、それでも続けていくこと...忘れないで生きていきたいです。そして、被災者の方々の心の傷が癒えていくこと、本当に必要な支援がいきわたることを望んでいます。

2011年3月11日 14時46分。

亡くなられた方々が、安らかでありますように。のこされた方々の未来が、たくさんの幸せに溢れていますように。


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# あの日から3年。
今日は3月11日。
東日本大震災から3年ですね。

あの日、テレビから流れてきた光景を今でもはっきりと覚えています。

15,884人の方が亡くなり、いまだ行方不明の方が2,633人もいらっしゃる。
そして3年が経って、新たな問題も出てきているとのこと。その1つが、「震災孤児の育ての親に目立つ疲れ」だそうです。

両親を亡くした子供を、身内や親戚が必死で育ててらっしゃるけれど、ご自身がご高齢だったり、自分の実子と合わせるとたくさんの子供の世話をしなければならなかったり。

中には92歳で、小学生と中学生の2人のお孫さんを育てている方もいるとの事です。

ご自身もヘルパーさんにお世話になりながら。それでも、孫を残して死ねないとおっしゃる。私の祖母が95歳なので、置き換えるとどんなに大変かと想像します。


お孫さん自身も、被災しご両親を亡くし(お父さんは震災で亡くなったのではないけれど)ご高齢のおじいちゃんと生活する事はとても大変な事だと思う。ご苦労もあると思う。もちろん寂しい気持ちも。

だけど、みなそれぞれに前を向いて今を生きてらっしゃるんだと。

そんな姿に勇気を頂きます。だから何か私に出来ることはないかと探します。

だけど...私が出来る事なんて本当に少ない。あの東日本大震災を忘れない事、そして被災地で頑張ってる方の作品(商品)を手に取ること...

昨年の日記にも書きましたが、今でもフェリシモの東日本大震災 毎月100円義援金(基金)は、今でも続けています。毎月、多くはない口数ではありますけが、この制度がある限りずっと続けて行こうと思っています。


◆2014年3月11日0時00分から23時59分までに、「3.11」というキーワードを検索された方おひとりにつき10円が、yahoo!検索から公益財団法人東日本大震災復興支援財団の「一般寄附金」へ寄付されます。(募金上限500万円です。)ぜひ1人でも多くの方が参加して頂ければと思います。⇒3.11、検索は応援になる。


2014 3.11 復興支援 東日本大震災 つながろう、明日もでは、被災された方が作ったものや、被災地のものを販売しています。

そして私も購入したのですが、石巻のお母さんの手作りブランド「OCICA」。まだ届いていないので実物は見ていませんが、1つ1つ手作りでとてもかわいいです。CINRASTOREさんで通販もしています。


震災後、ビートたけし氏が語った言葉の中で、印象に残った言葉があるので引用します。


一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。

残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。

2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。



「身近な1人の死」が約2万件もあったということ。

それはある日突然やってきたということ。生かされている自分にできること。

それはちっぽけな事なんだけど、それでも続けていくこと...忘れないで生きていきたいです。そして、被災者の方々の心の傷が癒えていくこと、本当に必要な支援がいきわたることを望んでいます。

2011年3月11日 14時46分。

亡くなられた方々が、安らかでありますように。のこされた方々の未来が、たくさんの幸せに溢れていますように。


いつも読んで頂いてありがとうございます。
そして、いつもぽちっとしてくれている、そこのあなたさま。応援して頂いてるような気がして、とても励まされています。ありがとうございます。今日もぽちっとして頂ければ嬉しいです。
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# 黙祷。
もう2年...まだ2年...。


被災された方々1人1人、それぞれ苦しい2年だったと思います。私なんかが、到底想像できないような苦しさだったと思います。メディアでは、そんな方々の現状やお話を見聞きしますが、苦しい中、本当に一生懸命生きてらっしゃる姿に頭が下がります。

先日、yahooニュースで見た記事で涙が出ました。期限がきたら削除されてしまうため、yahooニュースより以下に転載します。(安倍総理が、所信表明演説で話していた子が、のぞみちゃんだと、この時に知りました。)



「のぞみへ−」小4・小野望美さん、亡き母から半年後に届いた手紙
宮城県亘理(わたり)町の小学4年、小野望美(のぞみ)さん(10)は午後5時過ぎ、学童クラブを終えて帰宅すると、提出日の近づいた宿題をテーブルに広げた。「10年後の自分」という題で原稿用紙3枚の作文を書き上げなければならないが、全くはかどらない。

ぽつりとつぶやく。

「なりたいものなんて、まだ分からないよ…」。だだっ子だった以前なら、母の由美子さん=当時(46)=に泣きついていた。「お母さんがいなくなって、最初は寂しかったよ。でも、お父さんやお姉ちゃんもいて、一人じゃないから、立ち直れた。私もちゃんとしないといけないからね」

会社員の父、好信さん(52)の帰りは午後10時を過ぎる。望美さんは洗濯物を取り込むと、部活がある高校1年の姉、好美(このみ)さん(16)の代わりに、夕食のみそ汁を作り始めた。「お母さんが見ていてくれるからね」。母が未来の望美さんへ宛てて送った手紙を、大切に持っている。


 《このてがみがとどいたとき のぞみはどんな子どもになっているでしょうか》


丸っこい筆跡でつづられた母からの手紙が届いたのは、震災から半年後のことだった。「なぜ」。家族全員が首をひねった。望美さんの小学校入学時、母がランドセル会社のタイムレターの企画に応募し、千日後に娘へ届くようにしていた。当時の望美さんは母に甘えて、わがままばかり。けれど、母は受け止めてくれていた。

 《げんきに学校にいってくれるだけで おかあさんは、とてもあんしんしていました》

その小学校も被災し、望美さんはいまだに中学校の校舎で授業を受けている。「小学校を建ててほしい」。望美さんは1月、亘理を訪れた安倍晋三首相(58)にこう頼んだ。

安倍首相は震災直後、訪れた避難所で母を失いながら辛抱強く生活する望美さんに出会い、「夢」としたためた色紙を贈った。それから交流が続く。1月の所信表明でも望美さんに触れ、「過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに強く心を打たれた」と語っている。

台所に立つ姉の横顔やしぐさが、母に似てきた。「お米といでるときなんかそっくりだよ」と興奮気味に話す望美さんに、父の好信さんが笑顔でうなずく。姉は照れくさそう。父と兄、姉の4人暮らしのだんらんには、母の話題がよく上る。

好信さんは「母親に一番なついていた望美は、妻のひつぎにすがりついて泣いた。私以上にこたえているはずだ。だのに我慢するこの子の姿に、その気丈さに、親としてどれほど救われたかしれない」と話す。一方で、好信さんは娘の傷ついた心がまだ癒えてはいないことも知っている。

震災前は母と寝ていた望美さんは震災の後、好信さんの隣で寝るようになった。朝になれば、いつも父の腕を握っている。母親との別れがあまりにも急だったから、私がいなくならないように、無意識のうちに確認しているのだと思う」

集団移転が本格的に始まるのを前に、町内の随所で地面のかさ上げの造成工事が始まった。一家は津波の届かない高台に150坪の土地を買い、新しい家を建てて、来年の夏には引っ越す予定だ。家族で話し合って「お母さんも気に入りそうだね」と、南向きの日当たりのよい場所を選んだ。

来年の秋には、望美さんが待ち望んだ小学校の新しい校舎も完成する。

「ペットショップの店員がいいかな…。やっぱり、動物園の飼育係もいいな」小さな手に握った鉛筆が動き始めた。未来を思い描く原稿用紙に、母に似た丸っこい文字が並んでいく。





親を亡くした子供。子供を亡くした親。計り知れない喪失感だと思います。無力な私は、何もしてあげなれない。そんな風に思いながらも、続けていることがあります。

東日本大震災 毎月100円義援金(活動はこちら。)
全額が支援につながるとのことで、毎月数口ですが続けています。これからもこれがある限り続けていきたいと思っています。そして、忘れないこと。

3月11日 14時46分。

黙祷しながら、心の底から祈りました。亡くなられた方々が、安らかでありますように。のこされた方々の未来が、たくさんの幸せに溢れていますように。

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# ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」
期限が来たら消えてしまうので、yahooニュース掲載 NEWS ポストセブン 3月11日(火)7時6分配信 から引用させて頂きます。

東日本大震災から3年。震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。

* * *
なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。

地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。とてもじゃないけど笑えないよってさ。

よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。

常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。

人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。

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# 何もできないこと。
今日お昼の番組で、取材中に被災された東北放送・武田弘克記者の映像が流れていました。

タクシーに乗って取材中に被災。非難の途中で渋滞だったので、タクシーの運転手さんと
車を乗り捨ててて走って非難している姿が生々しく写されていました。
とにかく高いところを、と探しながら走り、とある事務所に避難しようとしましたが、
鍵が掛かっていたので、2階の人に「開けてください!」と言って開けてもらい、
その辺の人にも声を掛け、おばあちゃんをおぶって階段を駆け上がりました。
その後も、「ここより高い所はないですか!?」と必死で叫び、皆に声を掛けながら3階へ避難。
凄い勢いで津波が迫ってくる様子を撮影し続けていました。

その後、道端の木の上や車の上で動けなくなっている人を発見し、
事務所に非難した方達が、消防ホースで救助する所もずっと写されていました。
お父さんと小さな子供2人も車の上で取り残されていたのですが、無事に救助されました。
涙がでました。助けられてよかった。助けてくれる人がいて本当によかったと。
危険を顧みず救助にあたった方々の勇気。
目の前の困ってる人を損得なんて関係なく助けられる。自分も辛いときに他人を思いやれる。
人間ってすばらしい。
と思うと同時に、無力な自分が歯痒く虚しく思っていました。
そんな中、こんな記事を見つけました。

被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ
〜僕の浅はかな経験談〜


非常に説得力のある文章でした。
今、自分に何が出来るのか。
今、自分は何をするべきなのか。
皆、役割があるはず。
プロフェッショナルにしかできない事もある。私にもできることもある。
ということを改めて気づかされました。
皆がそれぞれにできることを頑張りましょう!

献血は大切ですが、みんなが一斉にしても血液の保存期間は短いのです。
長いスパンで血液が提供できるよう、集中しないように。
この出来事を忘れず、継続して献血や募金を続けること。
苦しんでる人がいます。寒い地でお腹をすかせている人達がいます。
買いだめはしないで。ガソリンも、被災地へ届くよう控えめに使ってください。
少しでも節電しましょう。
それはとても大切で、たくさんの人ができることだと思います。

私は、管轄の消防署で年に1度救命救急の講習を受けています。
そんな事でも、もしかしたらいつか誰かの役に立てるかもしれない。
「私にできること」なんだと今なら素直に思います。
そして、ロープの結び方とかも勉強したいな、と思っています。
焦らない。忘れない。
必要なときに必要なことができる自分でありたいです。
 

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# 被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ。【転載】
以前の日記で紹介させていただいた(現在はリンクを削除しております。)被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ。〜僕の浅はかな経験談〜の筆者様が3/23をもってサイトを閉鎖することになりました。

様々な想いと葛藤が見えただけに、とても残念でなりません。人に想いを伝える、人の想いを受け取る。とても難しいことだと思います。

ただ、私個人としてはやはり作者様の考え方がとても心に染みましたので、ここで残しておきたいと思い転載させて頂きます。





被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ。
〜僕の浅はかな経験談〜

阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。

家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。

その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。

学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。

僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。
昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。

下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。

「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。

それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。

まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。

作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。

以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。

ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」

言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。

結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。

風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。

僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。

実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。

僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。

人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。

僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。

結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。


今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。

今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。

そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。

仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。

そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。

もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。

結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。




最後に筆者はこう付け加えました。
このエントリーはボランティア自体を否定したものではなく、どうせならより効果的な参加方法を、冷静に模索して欲しいと。(私は、ボランティアを否定しているようには到底とれないけれど。)

大混乱の現場で、ど素人ができることは本当にないと思う。落ち着き始め、整備され、必要とされたときに考えればいいと。ただ、被災者を思う気持ちは忘れてはならないし、「何かしなければ!」と思うことも大切だと思う。

だからこそ筆者は、「優しい若者へ」と題したんだと思う。
 

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# 東北地方太平洋沖地震への寄付一覧
■東日本大震災 被災地への寄付一覧■

たくさんの企業が地震の被災者への支援をしています。日本の非常事態に即時に対応できる企業がたくさんあることにとても嬉しくなります。(2011年3月15日現在)

<ファーストリテイリング(ユニクロ等)>
グループから 3億円
全世界従業員から 1億円
代表取締役 柳井正 10億円
ヒートテック30万点、各種肌着やアウター、ジーンズ、タオル類など7億円相当

<義援金10億円>
日亜化学工業

<義援金5億円>
東芝
三菱電機
ジャパネットたかた(+電池セット1万台)
新日鉄
ゴールドマン•サックス

<義援金4億円>
三菱商事
住友商事
伊藤忠商事

<義援金3億円>
パナソニック
日本郵政
トヨタ自動車
キャノン
任天堂
SONY(+ラジオ30,000台)
富士フイルム(+医療用マスク等)
リコー
楽天
JT(+飲料水等)
サントリーホールディングス(+天然水100万本)
生命保険協会
本田技研工業(+発電機・カセットガスボンベ 5,000本)
武田薬品
日立グループ
東京エレクトロン

<義援金1億円>
三菱東京UFJ銀行
三井住友銀
みずほフィナンシャルグループ
野村証券
大和証券グループ
ロート製薬
ニコン
エプソン
アサヒビール(+飲料水 18万4000本)
電通
米シティグループ日本法人
オートバックス(+充電器 約3万9000個等)
NEC
シャープ
花王グループ (+おむつや生理用品、洗剤、歯磨き)
ダスキン
コーセー(+ボディシート等30万個)
日本マクドナルド
積水化学
小林製薬
旭化成
京セラグループ
オリンパス
オムロン

<その他>
・日清・・・カップヌードル」ほか100万食を緊急無償提供・給湯機能付 キッチンカー7台を派遣
・日産・・・3,000万円
・コニカミノルタ・・・5,000万円
・カシオ・・・1,000万円
・江崎グリコ・・・菓子類11万個・レトルト食品3万個
・味の素・・・味の素おかゆ 5,000食・カップスープ 100,000食
・キリンビバレッジ ・・・飲料水 15万本
・日本コカコーラ・・・飲料水720万本・約150台の災害対応自販売機で飲料を無償提供
・イオン・・・1,000万円
・サークルKサンクス ・・・菓子3万個・飲料5万本・レトルト食品10万食以上
・資生堂・・・水のいらないシャンプー ・ハンドソープ各1万個・手指消毒剤2万個
・ライオン・・・5,000万円・洗濯用洗剤・消毒液
・太陽工業・・・2000人分を収容するテント
・ベネッセ・・・5,000万円
・アコーディア・ゴルフ・・・2,000万円
・大和ハウス ・・・毛布や水、軍手やタオルなどの救援物資を積んだトラックを派遣
・マツダ・・・3,000万円
・エリエール・・・ティッシュ3万8千カートン・トイレットペーパー6万5千ロール・おむつ7万5千枚・生理用品8万8千枚等
・平田牧場(酒田市)・・・500万円
・Jリーグ・・・5,000万円
・ガリバー・・・中古車1000台
・ドモホルンリンクル・・・1000万円・生活用品
・グンゼ・・・2億円相当の下着や靴下
・クボタ・・・義援金と建設機械20台(オペレーター派遣含)総額5億円
・王子製紙・・・義援金と紙おむつ等総額1億円
・ユニチャーム・・・衛星用品・おむつ・ペット用品等
・クロスカンパニー・・・冬物衣料7000着
・ロッテ・・・ホカロン1万枚、お菓子29万個等
・三菱重工・・・5億円相当の支援
・アイリスオーヤマ・・・現金と生活用品合わせて3億相当
・千趣会・・・3000万円

これからまだまだ増えると思います。そのほかにも、芸能人や海外のアーティストなどなどからたくさんの支援が集まっています。被災者の皆さん、どうか頑張って下さい。たくさんの想いがどうか届きますように。



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# 頑張れ。日本。
金曜日の午後、会社の人達がざわつき始めました。

「地震があったみたい・・・。」

急いでネットで確認すると、とにかく大きな地震があったと。帰ってテレビを付けると、そこには大火災や津波の様子が映し出されていました。


関東に弟夫婦がいるので、家族で連絡したけど連絡が取れない。幼子と妊婦がいるので、とっても不安でした。夜8時頃になってようやく連絡が取れ、家の瓦が落ちて怖かったけど、全員無事だと確認できました。

時間が経つにつれて被害は瞬く間に大きくなり、被害者の数が増えていく。原発は大変なことになっていると報道される。

テレビで見るだけで、本当に恐ろしい光景なのに、被災者の方はどんな思いなのだろうかと思うと胸が苦しくなります。


10代の女の子がお母さんを探しながら泣いている映像がありました。どうか、お母さんに会えますように。1人でも多くの人が助かりますように。

テレビで見る災害の様子は、本当に悪夢のような光景だけど、どうか負けないでほしい。祈ることしか出来ないけれど、とにかく頑張って欲しい。個人としても、企業としても微力ながら募金もさせて頂こうと思っています。

頑張れ!
 

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管理人:miki*

私、夫(ヒロシ)、娘(マル子)、愛犬の銀次とモモコ(元保護犬)の3人+2匹暮らし。30代のワーキングマザーです。関西方面の新興住宅地在住。

近所に馴染めなかったこと、道路族に悩まされたこと、そして日々のことを綴っています。
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